エアギターで腕が攣る

無題

4/20 23:46

もう2ヶ月以上も前の話だが、ピアスホールを開けた。ピアスホールを開けることなんて俺の人生には無いだろうと思っていたが、そうしない確固たる理由があるわけでもなかったので、多少の理由さえあればさらりと傾くのも、考えてみれば当然である。

人にあげようと思っていたピアスを渡す機会が無くなり、せっかくなら自分でつけようか、と思い立った。思い立ったその日に皮膚科の診療を予約してホールを開けた。コンタクトレンズをつけてみようと思った時もそうだが、思い立ってからの行動が早い。現在地から身を動かしたい、と思った時の行動力にはしばしば自分でも驚かされる。

さて、自分自身に風穴が空いている、というのは妙な気分である。そもそも人体自体がひとつの大きな風穴とも言えるが、元々空いていなかった穴が空いている、というのが妙である。

古来より人間はイニシエーションとして入墨を施したり、歯を抜いたりと、自身の身体を改造する。恐らく、自身の身体という、最も身近で、最もピントが合わない存在に介入を試みる、ということに意味があるのだろう。それによって、アンタッチャブルなものへの接近を試みる。あるいは、自身の身体が介入可能なものであるとすることで、客観性を獲得する、といった意味もあるのかもしれない。イニシエーション、すなわち通過儀礼とはその社会の一員として認められるためー大人になるためーに行われるものである。大人とは客観性を成熟させた人間のことを指す。

複数ピアスホールを空けている知り合いに、なぜピアスを開けているのか?と質問をしたことがあるが、明確な答えは返ってこなかった。明確な答えがなかったことに少し安心もした。明確な答えがないくらいが丁度いいのだろう。もし上述したようなことを意識的に考えて身体に風穴を開けているのだとしたら、それはずいぶん酔狂なことである。

余談として、以前髪を伸ばし始めた時にも感じたことだが、ピアスホールを開けたことによって自身の身体に対しての視点が増えた。

髪を伸ばした時は、髪が肩に触れるという触覚的な追加事項に加えて、トリートメントをしたり、ヘアオイルを使ったりといった、生活におけるメンテナンスという所作の追加事項が増えて、より自分自身に目を向ける機会が増えた。以前どこかで男性はセルフケアに関する意識が女性に比べて低い(これは優劣の話ではなく、単純にライフスタイルや社会的立場からセルフケアの機会に恵まれない、といった文化的差異の話である)という話を聞いたことがあり、その時はイマイチピンときていなかったのだが、ヘアケアという視点を獲得したことで、その話が幾分か立体的に感じられた。

今回自分に風穴が開いたことで、入浴した際や、メガネをかける時など、日常の仕草においてピアスの存在を気に掛けるという事項が増えた。これを面倒だと思うか否かは人によりけり、状況によりけりだと思うが、少なくとも俺は今のところ面白みを感じている。これは新たな客観性を得たことに対する面白み、今までいた場所から自らを移動させたことによって発生した新たな視界に対する面白みである。