エアギターで腕が攣る

無題

10/8 14:55

今週は道徳と倫理について考えてばかりいた。というのも、のっぴきならない理由で他者に対して道徳を説く必要があったからである。他者に対して何かを説くということはとても恐ろしい。他者に対して何かを説きたい、という欲求は正義を隠れ蓑にして自らの優位性を誇示したいという尊大さと紙一重であるからだ。また、何かを説くためにはその事象に精通していなければならない。

俺は俺の尊大な自己表出の欲求のために道徳を説いてはいないか?また、俺は道徳について正しく認識ができているのか?と言ったことを考え始めると、いよいよ言葉がまとまらず、なかなか骨が折れた。

薄氷を踏むように言葉を紡いだつもりだったが、果たしてそれが相手に響いたのかは分からないし、尊大な自己表出の道具として道徳を使う瞬間はなかったか、確証はない。ともあれその時にメモを走らせた内容と、今改めて考えたことを今一度書き留めておこうと思う。

何かについて考える時は、まずは辞書を引くのが鉄則である。本来の意味・意義に立ち返った上で考えを進めていかなければ、思わぬ方向に話が進んでしまう。

道徳は大辞泉によれば、

人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。

ということらしい。

一方で倫理はというと、

人として守り行うべき道。善悪正邪判断において普遍的な規準となるもの。道徳モラル

とのこと。ほとんど同じである。実際俺もこの二つの単語を意識的に分別して使うことはあまりない。

以降の文章においても、明確に道徳と倫理という言葉を分別することはしない。

さて、今回自分の中でまとめたのは、道徳の中でも「なぜ悪口を言ってはいけないのか?」ということに関してである。

基本的に悪口というものは、その発言者が悪口の対象からストレスを感じている時に発生する。ストレスというものを完全に避けて生きることは不可能に近い。我々は常になんらかのストレスに曝されており、どうにかこうにかそれらに対処しながら生きている。

幼いであればストレスに対して泣き喚くことでなんとかなる(保護者がストレスの解消に尽力してくれる)が、大人になればそうはいかない。更に他者が常に存在する社会の中で生きていくのであれば、ストレスの解消も適切な方法を選んでいかなければならない。

最も単純かつ明快な方法は、ストレスの発生源(ストレッサー)を消し去ることである。例えば、寒さにストレスを感じるのであれば、暖房をつけることで寒さを消し去ることができる。ストレッサーを消し去ることができないのであれば、ストレッサーに対して自分自身をストレスを感じない状態に移行させるという手もある。外にいて気温に直接干渉が出来ないのであれば、厚着をすることで寒さに対する耐性を獲得すれば良い。

それでは、人間関係におけるストレス(他者がストレッサーである場合)はどうだろうか?

社会の中で、他者を排斥することは困難であるので、この場合は、直接相手にストレスの要因となっている事象の改善の要望を伝えたり、もし本人に直接言いづらい状況であれば、上長や、本人に対して意見を伝えやすい人に代理でコミュニケーションをとってもらうように伝えたりすることで、ストレッサーである相手とコミュニケーションを図り、お互いにストレスを軽減できる状態を模索していくことを目指すのが妥当だ。

一番悪手なのは、本人でもなく、上長でも代理で伝達ができる人間でもない、ただの隣人(会社で言えば同僚だろうか)に悪口や不平・不満としてストレスの排出を行うことである。これではストレスの根本は一切解決されないため、常に自分を介してストレッサーから受けるストレスをいたずらに流出させ続けることになる。また、このストレスの流出を受け止める隣人もまたそれにストレスを感じ、社会の健全性は時を経るごとに悪化の一途を辿るのみである。いずれストレッサーに対する排斥や攻撃が開始され、遅かれ早かれ浄化はされるが、一度この回路を組み込んでしまうと、その社会は排他的で不健全なものになってしまう。

悪口や不平不満が全きに悪であるかというと、一概にはそうは言えないが、あくまでそれは一時的な鎮痛剤のようなものであり、根本に向き合う覚悟を持たなければ、その摂取量ばかりが増えていき、中毒状態となり、いずれ取り返しがつかない状態に陥る。

自分自身のストレスと正しく向き合うということは現代の道徳に大きく関わる。

余談ではあるが、寒さで例えた厚着のように、自分自身の認知をトレーニングすることでストレスにうまく対処できるようになるという方法もある。

まずは自分自身の認知がどのように働いているのかを理解することである。例えば人間にはアンコンシャス・バイアスが存在する。アンコンシャス・バイアスとは、生育環境や国家特有の文化、性別、などに由来する、無意識に築き上げられた先入観のことである。他者との交流や勉強によってそういった観念を一つずつ丁寧に拾い上げ、理解していくことでストレスを感じずに済むようになるだけでなく、他者に対しての理解も進み、逆にストレスを相手に与えずに済むようにもなる。

また、我々は何かしらの人為的ミスが発生した際に、そのミスを当人の性格や、能力に紐づけて考えてしまうという傾向がある(原因帰属バイアス)。性格や能力に紐づけると、問題が途端に解決しづらいものになる。そもそも性格や能力というものは一朝一夕で培われるものでもなければ、劇的な変化が見込めるものでもない。まずは性格や能力ではなく、環境要因に目を向ける癖をつけると、どのようにミスを防止、解決していくか、といった解決志向を手に入れることができる。

勿論全ての問題が環境要因で解決する訳ではないので、どうしても能力や性格にテコを入れなければならない時は、慎重に、丁寧なやりとりが必要となる。

こういった普遍的なバイアスや、原因帰属に関する傾向を知っておくと、自分自身のストレス認知にブレーキをかけることができるようになる。

参考:

帰属理論・原因帰属 : 心理学用語集

他者のミスは本人のせいにしがち『根本的な帰属の誤り』への対策 | JUN's live log

認知バイアスとは?具体例や企業にもたらす影響・対策を紹介 – あしたの人事オンライン