エアギターで腕が攣る

無題

9/26 21:48

高校生の時分なので、もう10年以上前からになるだろうか。「文章を書きたい」という欲求を満たすために細々、長々とTumblrで文章を書いていた。数あるSNSの中でも当初から独特なテイストを保ち続けていたTumblrはどこか憎めないユーモアを持っていて、自分の中では数少ない、長く続いている行為の一つである文筆のための、比較的快適な場であった。

しかし昨年の終わり頃からだったろうか、外部サイトからTumblrにアクセスすると、文章を読み始めてから幾許も経たないうちに、Tumblrへのアカウント登録を推奨するユニークなポップアップメッセージ─Tumblrのアプリケーションがアップデートされる度にSNSで話題になる、件のユーモアをふんだんに交えたアレである─が表示されるようになった。ユーモアはさておき、そんなものでいちいち読み進める手を止められていては読む人の興が削がれて仕方がない。今日、ふとそれが「限界だな」と思った。数年前に一度移設を考えた際に案の一つとして挙がっていた、このはてなブログで今後は文章を書いていく。さようならTumblr。憎めないなどと冒頭で宣っていた割には案外あっさりとした決断だ。

人の情、もとい俺の執着はなんと儚いものだろうか。いや、これは昨年末現れたポップアップメッセージを見た時から「嫌だな」と思っていた気持ちに蓋をして見ないふりを続けていたのだろう。それが今日蓋の隙間から溢れ出して意識に上ったのだ。ある面では俺の執着が儚く見えるが、これは本質的にはただただ俺が我慢強かっただけだ。このように俺は「知覚していないものは存在していないものとして割り切る」という手法をよく使うのだが、これはあまり良くないのかもしれない。蓋の底にあった俺の気持ちは今回溢れたことでようやく世界に顕現したわけだが、間違いなく顕現する前にも無意識下には存在していた。そしてそれは間違いなく顕現する前の空間─無意識─を少なからず占領していたはずだ。有意識をクリーンに保つことには意識的だったが、無意識にも同様の意識を向けなければならないのかもしれない。無意識を意識するとは随分な言い回しではあるが。

閑話休題Tumblrにアップしていた記事もこちらに移していきたいところではあるが、向こうの投稿数は600を超えている。到底全ての記事をコピーアンドペーストする気にはならないので、気が向いたら過去の文章の中で気に入っているものだけちまちまと移していけたらいいと思う。完全に移行が完了するまではTumblrのアカウントを削除することはないし、全ての記事を移行するようなガッツが俺にあるわけもないので、Tumblrのサービスが終了するその日までは俺の亡霊もまたTumblrに幽泳*1するだろう。

 

 

*1:幽霊のように漂うこと。幽霊の遊泳。