エアギターで腕が攣る

無題

12/3 18:56

AMBIENT KYOTOに行った。

コーネリアス山本精一坂本龍一、Buffalo Daughtersといった錚々たる面子によるインスタレーション。時間が一瞬で溶け落ちる音空間だった。

インスタレーションというものに全く馴染みがなかったので、今回鑑賞するにあたって意味を調べた。

〘名〙 (installation 「取り付け」「設置」などの意) 現代美術の手法の一つ。作品を、展示する環境をも取り込んで、その総体を芸術的空間として呈示すること。また、その空間。

今回で言えば、音楽を立体音響で聴かせ、空間を照明や、霧で演出したり、そもそも空間自体を仕切ることによって、より多角的な音楽体験が可能な場になっていた。

会場は京都中央信用金庫 旧厚生センターと京都新聞ビル地下1階と二ヶ所に分かれており、それぞれが電車で10分ほどで行き来できる距離にある。

前者の会場は3階立てになっており、1階でコーネリアスの「Quantum Ghost」、2階では同じくコーネリアスの「Too Pure」、3階では「Dream in the Mist」、Buffalo Daughters「Everything Valley」「ET(Densha)」、山本晴一「Silhouette」の展示が行われていた。

後者の会場では坂本龍一「async」が、地下の広大な空間に設置された超横長のディスプレイで放映され続ける高谷史郎の手掛ける映像と共に、音楽と映像が非同期で流れ続ける。

まず「Quantum Ghost」だが、ステージを囲むように設置された何十台ものスピーカーから発される楽曲と、高田政義によるライティングのシンクロニシティによって、楽曲の新たな側面、いや、本来宿っていたであろうエッセンスが十二分に知覚される空間だった。ステージ中央に立ってサラウンドな音と光の往来に身を任せるもよし、ステージを遠巻きに眺めて駆け巡るそれらに視線を投げるもよし、インスタレーションとは何たるかということを思い知った。終盤でLEDの粒が音に合わせて少しずつ近づき、最後の一音でぶつかった瞬間に全ての照明が煌々と輝くのは、まさに素粒子反粒子対消滅によって宇宙が生まれる様を音と光によって表しているようだった。Quantum Ghost(量子の亡霊)とはよく言ったものだ。

続く「Too Pure」は3面のディスプレイを配置した小部屋に映像が流れていた。中央に座れば視覚をすっぽりとディスプレイが覆い、Quantum Ghostで生まれた宇宙で芽生えた生命の渦を描いたような、木々や草花や動物たちの駆け巡る映像に没入できる。中盤のノイジーな音の渦とリンクした映像には圧倒されるばかりであった。

そして同じくコーネリアス「Dream in the Mist」。数歩先の人の影すら消えてしまうような濃い霧で満たされた直方体の奥行きある空間の中、コーネリアスの「霧中夢-Dream in the Mist-」と共にライティングがこの非現実的な空間を満たす。レム睡眠とノンレム睡眠を行き来するように刻々と変わりゆく照明(特に深い赤色は、まさしく瞼を閉じた時に見える、瞼の薄い皮膚の下で流れる血の流れの色のそれだった)宇宙へのワープを想起させるようなクライマックスでの激しい明滅は身体感覚を消失させるのに十分過ぎるセッティングだった。

そしてこの会場での最後の展示、Buffalo Daughters「Everything Valley」「ET(Densha)」、山本精一「Silhouette」へ。

2台の巨大なディスプレイが対角線上に配置された部屋で、音楽と同期した映像が立て続けに3本放映される(基本同じ映像が流れているが、「Everything Valley」のみそれぞれのモニタで流れる内容が微妙に違った)。腰掛けの位置と柱、ディスプレイの位置が絶妙で、映像の全容を掴むためには折りに触れてもう片方のディスプレイにも目を向ける必要があった。ここでもそれぞれの楽曲のエッセンスが映像と立体音響により拡張され、音楽が自身に肉薄してくるようであった。

最後に、京都新聞ビル地下1階での坂本龍一「async」とこの作品のアルバムアートワークを担当した高谷史郎による非同期の映像によるインスタレーション。地下一階は印刷工場の跡地となっており、まるで電車の廃駅のような広大な空間に、坂本龍一の音楽がサラウンドで流れ、全長10mは優に超すであろう、超横長のディスプレイでアルバムアートワークの手法と同様の映像が放映され続ける。廃駅のような佇まいに先の会場の3階でのBuffalo Daughtersの「Densha(ET)」とのシンパシーを感じつつ、会場に設置されたベンチに腰をかけ、流れ行く映像と自身を取り囲む音の断片に身を預けていたら、気付くと閉場時間ギリギリになっていた。比喩ではなく、一日中あの空間で映像と音に身を預けることも可能だと思った。

以上、おおよそ3時間ほどかけてじっくりと鑑賞を終えた(最後の会場は都合30分ほどしか滞在できなかった)。

アンビエントミュージック(環境音楽)といえば、ブライアン・イーノによる空港のための音楽のイメージが先行する。これは自分の中では空間が先にあり、そこに音楽をあてがうような主従のイメージであったが、今回のインスタレーションは、むしろ音楽のために空間をあてがうようなイメージが強かった。そしてその空間と音楽が呼応し、やがて主従が消失するような体験だった。

 

展覧会公式ホームページはこちら。

https://ambientkyoto.com