エアギターで腕が攣る

無題

12/12 9:22

風邪を引いた。先週の頭からズルズルと長引いており、そろそろ嫌気がさしつつある。スケジュールの都合上しっかり療養できないのも辛い。

俺は一年に一度体調を崩せば珍しいくらいのタフさを持ち合わせているので、そう頻度は多くはないが、風邪を引く度に、風邪は“引く”ものなのか、と思う。くじのようなものなのか。もちろんウィルスは目に見えないし、それらがたまたま自分の免疫が落ちている時にぶつかってきて体調を崩す、というのはくじのように確率的な問題と言えなくもないが、免疫の低下は自らの不摂生が招くことも多く、確率的な問題に終始しない(=意思によってコントロールが可能な点もある)イメージもあり、どうも違和感が拭えない。

この辺りの曖昧さが、体調を崩して仕事や学校を休む人たちへの態度を難しくさせているのだろうか。

先に一年に一度体調を崩せば珍しいくらい、と書いたが、振り返ってみると最近はそんなことはなかった。思い出せるだけでこの数ヶ月で4回は体調を崩している。もうタフさを自称するのはやめようと思う。

俺はこれまで自身のタフネスに感謝するのと同じくらい、このタフさを心底うらめしく思いながら生きてきた。どれだけ辛いと思っても、身体が丈夫なせいで走り続けてしまえる=走ることを周囲から要請されるからだ。ただ、風邪を引いたりして自身のタフネスが揺らいだことで今回見えてきたのは、世の中タフなやつほど得をするということである。タフな人間ほど前線に出ている時間が長いため、相対的にそうでない人よりもチャンスが回ってくる。更にタフであるということは、ただそれだけで耐久性が高いという点で評価の対象となる。タフでなければそもそも土俵にすら上がらせてもらえない、ということまである。なかなか酷なものだ。

ただ、タフさは有限である。一度に大量に消費して限界を超えてしまうと、最大値が永続的に減少したままになる。チャンスに目がくらんでしまい、自らの限界を見誤ってしまうのはとても悲しいことだ。